生活世界の
ごたまぜ展
2024年10月12日 START
2024年10月13日 CLOSE
囲碁×アート展
「生活世界のごたまぜ」
都市生活における記憶と選択肢、あるいは平和のために
開催日時:2024年10月12日(土)13日(日)
【土曜日】午後1時~午後6時
【日曜日】午前10時~午後5時
場所:とよだ市民ギャラリー(JR豊田駅より徒歩3分)
※出張碁会所、開催中 ※入場・対局無料
現代美術 / リレーショナルアート /
ソーシャル・エンゲージド・アート
主催:スズキナルヒロ
協賛:日野市囲碁連盟、囲碁サロン高幡
「生活世界のごたまぜ」ごあいさつ
「選択肢も記憶もない都市生活」とアドルノは言いましたが、高度情報社会の到来に伴い、可処分所得・時間の減少、マルチプルに生きることを要請する現代社会の適応水準の上昇など、生活世界における様々なサブシステム(家族・文化・芸術・政治・宗教など)は経済システムに飲み込まれています。
「時は金なり」を21世紀のいま考えなおせば、「宗教としての資本主義」の到来を指摘したベンヤミンの慧眼は、この言葉によって完成されていたことを味わい深く理解できます。グリニッジ標準時の浸透、精神病・無意識の発見(発明)なども同時代的な象徴であり、事実、工場労働のはじまりでその規則性に適応できない労働者も数多くいたと言いますが、近代以降の「時間(統治技術)」の変質は、「生活世界」の変質に深くリンクしているように思います。それは「宗教としての資本主義」において、われわれが信仰しているのは、実のところ「時間」なのではないかという個人的な仮説でもあります。(宗教と信仰は別の意味合いを持ちますが、宗教においては、信仰している対象もその自明性も信仰者にとっては透明な空気のようなものです。空気を意識すると、息苦しくなるうちは、まだ救いがあるように思いますが、救われない救いもまたあるでしょう。)
さて、本展が目指すところのひとつとしては、ゲーテよろしく「芸術には宗教が宿る」とは裏腹に、宗教なき都市生活者の生活世界における表現を、朝まで気が狂ったように碁を打つ老人たちから、変則的に開示してもらおうではないかという地域アートの実験でもあります。繰り返される模倣と流行のなかで、次第に忘れ去られゆく昭和のエートスの変質は言わずもがな、時間から離脱し/失墜する<ノスタルジア>の漂流を思うわけで、ゲーテ的世界観を更新するには、芸術に必要なのは宗教ではなく、故郷あるいは<ノスタルジア>なのだと僕は言いたいわけです。もちろん、社会貢献活動としての意味合いも強い地域アートではありますが、30半ばの男の妄想めいた思考の限界が、現代美術の枠を超えて、芸術を新たに価値づけることを願うばかりです。
展示までの記録①
夏頃に顔を出した碁会所で会話するうち、
アート展をやったら
面白そうなメンバーだと直観したので、
企画を考えはじめる(7月頃)
8月頃から企画書を碁会所に持ち込み、
展示企画の打ち合わせを隔週ペースで実施。
展示までの記録②
書なら書ける気がすると書きはじめ、
1週間で200枚程のペースで練習し、
驚異の上達をみせています。
こちらは棟方志功のような色使いで絵を描いています。
展示までの記録③
役場にフライヤー・ポスターを
設置していただきました。
展示までの記録④
絵画と、写真作品を額装中です。
アクリル板の表面のシートはがしに苦戦しています。
額装完了!
展示までの記録⑤
展示当日の朝、こちらも額装中です。
外看板の準備中。
ここまで準備期間、約2か月ちょっと。
(すごい!)
展示会の記録①
展示スタート
展示には地域住民の方を含め30名ほどご来場いただきました。
役場に置いたフライヤーの効果もあったようです。
囲碁サロン高幡さんのご協力で、
市内屈指の棋力の方々に対局相手を務めていただきました。
展示会の記録②
展示会の記録③
今回の展示では、碁石を3種類用意しました。
瑪瑙碁石、グリーン碁石、蛤碁石。
展示来場者にはログインボーナスとして
瑪瑙碁石(写真)をお配りしました。
瑪瑙は古代中国や日本で七宝のひとつとされ、
ヒーリング効果や人との結びつきを強めると言われています。
展示会の記録④
展示会の記録⑤
作品制作も展示も今回がはじめてと伺っていましたが、往年の美術作家のように作品を解説しています。
展示に来場された方が水彩画をやっているとのことで、一度自宅に戻り、スケッチブックを持参してくれました。まちの絵画教室の先生と勘違いされたようでしたが、熱意と継続性が人生を豊かにする秘訣に思えます。
Saito Ryo「レコア碁盤」
※今回、友人の木工職人に「盤面が水平であれば、なんでも構わない。思いっきりやってくれ。」とオーダーしたところ、抜群の代物が展示前日に届きました。古い碁盤をもとに制作を依頼しましたが、本人は家具職人を名乗っていますが、生きている彫刻の息吹きを感じます。
「生活世界のごたまぜ」参加作家
Tさん(囲碁七段)
書道担当
Fさん(囲碁四段)
写真担当
Fさん(囲碁三段)
絵画担当
T君(小学2年生)
Kさん(女子美4年生)
Aさん(ドラマー)
※今回の展示では、Mさん夫妻、Fさんのご厚意により
かつて碁会所に通っていた水彩画家、
故・平櫛亮三さんの作品も展示しました。
また、当日の対局者としてご協力いただいた皆様にも
この場を借りてあらためて感謝申し上げます。
サイトウ(木工職人)
碁盤制作
うみうし
写真・ペインター
スズキ(囲碁五段)
芸術・思想・哲学(主催)
■展示のあとで、来たる時代の若者たちへ。
・碁会所で出会ってからおよそ3ヵ月で展示をすることになった本展では、小学生から美大生、碁会所に通っていた故人の水彩画家の作品まで、想像を超える多様な作品とひとに出会うことができました。僕個人としても、初の地域アートの試みでしたが、とても幸運に思います。
・今日の文化においては、コミュニティは衰退を余儀なくされ、事実、市内の碁会所は消滅に近づいていますが、その背景には、自分を造り出すことを忘れた消費者的精神の慣習化、グローバリズムが数十年でもたらした詐称的な「自由」のすり替え、誰にでも当てはまりそうで誰にも当てはまらない一般化された徳ならざる徳倫理、なにかを愛するだけの成熟の喪失etc...複雑に絡み合った社会幻想の窒息があります。加えて、来たる人工知能が人間を騙す時代を思えば、哲学者はひとを少しマシな方向に唆すほかないように思いますが、引き抜いて植え付ける啓蒙主義も空っぽに充たされた世界では作動しません。
・それゆえ「ゼロに賭ける」ドストエフスキーと貴族主義的なトルストイの高潔さをもって、現代美術を試みれば、何らかの応答があるわけで、そうした世界の忘れられた<信頼>を、来たる時代の若者に思い出してほしいと願うばかりです。なにより散漫な現代生活のなかでは、集中と忍耐と小さな関心が、生活世界を形作る<しあわせ>の鍵なのだから。